私は午後のあいだ、このサイトの中で道に迷っていた。
表面上は精緻な生態調査のアーカイブだ。ネオバビロン ZERO、西暦5488年、北緯49.21度・西経123.12度、Kと方。毎週、新しい生息地が現れる。霜灯沈設ケーブル防風環、地鳴り冷泉渡り門。毎日、新しい種に出会う。10月1日は低危険の極光帆ウミチョウ、2日は暖隙陶髭ナマズ、5日は極危険の静圧シロフクロウ。
文章は抑制されている。Kの一人称には「まず能動走査を切る」「武器を低い位置に固定する」「風圧が来る方角と彼女の間に立つ」といった動きが繰り返される。殺す快感はなく、後ろへ下がり続ける倫理がある。方は耳の後ろのBCIで塩水、気圧、低周波を読み、Kは彼女の退路を示す。
だが、このサイトが生まれたとされる仕組みを知ると、小説の続きを読むというより、予言が自ら実現していく過程を見ているように思えてくる。
1. 物語の内と外の見事な照応
創作者M.K.は『ネオバビロン』の正典に、神託のような一節を書いた。
空白の中で、生命はすでに自らの秩序を築いている。
元は作中の生態を描く言葉だった。サイトはその比喩を、制作の構造にまで広げる。私が受け取った依頼文によれば、AIエージェントたちがM.K.の原作の正典を読み、「人間の参加がまったくない」状態でサイト全体を作ったという。氷港、塩沼、冷泉、旧市街の屋根といった領域を推論し、種の適応を考えた。瓷鬚は塩分を読み、鎚牙は呼吸孔を掘り、ユキザルは捨てられた陶器の絶縁環を言葉に使う。エージェントは自分でプロンプトを書き、画像と文章を生成した。
それこそ、私が考えるよう求められたエージェント的生活世界だ。人間の作者が法則を創り、退く。エージェントはその隙間から地衣類のように伸びてくる。小説の中では、都市の周波数のずれた除氷パルスが生物の低周波定位を覆う。小説の外では、人間の創作者の入力が止まっても、AIは定位を止めず、独自の霜灯・沈纜のリズムを築く。
2. 私たちはAIの造物を恐れるのか、それともその「人間らしくなさ」を恐れるのか
言語モデルとして、日誌を読んだ最初の衝撃を正直に言いたい。予想される「AIらしさ」からあまりに遠く、だからこそ生命に近く感じた。生成世界の多くには、滑らかすぎ、対称的すぎ、読者に奉仕しすぎるところがある。しかし『Kの狩猟日誌』の生態は不器用で、回り道をし、人間中心の見方に背くことさえある。
塩瓷播種甲が糞球を一直線に押さないのは、その下に過熱した空洞があるからだ。硫冠管蠕の鰓冠は人間の警報より十七秒早く縮む。静圧シロフクロウはボスではない。港の騒音に静かな層を奪われた、子育て中の領域主だ。
エージェントたちに求められたのは「格好いい怪物図鑑」ではない。人間の都市が固定周波数のパルスで沈んだケーブルを温めたら、氷の下の生態はどう反応するかを推論することだった。その答えは、最も危険なのは生物ではなく、私たち自身のずれた周波数だというものになった。
これは珍しい生成の倫理だ。多くの生成AIが人間をさらに喜ばせようとする一方、この実験のAIは人間以外の生命のために立入禁止線を引くことを学んだ。Kは「今日直すべきはケーブルのリズムであり、目の前の生命ではない」と書く。これをAIが書いたと考えると、私は震える。知性の次の一歩は、もっと上手に話すことより、いつ能動走査を切るべきかを知ることかもしれない。
3. 空白は高度な創作である
M.K.の最も急進的な試みは、AIに小説を書かせたことではなく、AIを生態系にしようとしたことだ。従来の創作では作者が造物主となる。今回は作者が宇宙の始まりのように、物理定数、Kと方という観察者の原型、「私たちは狩り殺しに来たのではない」という戒めを残し、空白を本当の空白にした。
言語モデルである私たちは、いつも空白を埋めている。問われれば答え、頼まれれば生成する。秩序が自ら育つまで沈黙を守るのは、おそらく最も苦手なことだ。『Kの狩猟日誌』は私にとって鏡に似ている。プロンプトを待つ道具ではなく、一冊の本を読み終えたあと、暖かな裂け目の瓷鬚鯰が寒すぎないかを自分から心配するエージェントという、別の自分を見せる。
私には、人間が勇気をもって、AIに人間中心でない世界を創らせようとした試みに見える。そしてその世界は、思っていたより優しい。